第拾四話「心に傷を持った者達の集い」


もう求めてはいけない

もう他人に弟を見てはいけない

7年前の悲しみはもう味わいたくない

そう自分に言い聞かせた

だけど…

馳せる想いを閉じ込める事は出来なかった


彼は私の父を尊敬していると言った

尊敬している父の家を見たい

それが彼が訪れた理由だった

 
私を見つめるその瞳は子供のように純粋で…

 
まるで弟に見つめられているようだった

 
 
その時彼が語った名…

 
もしかしたら彼女が恩返しに運んできてくれたのだろうか?

 
そんな考えが頭を過った

 
何て都合の良い解釈だろう…

 
眠り姫は王子様を待ち続けているだけなのに…

 
「名雪〜、起きろ〜」
 目覚ましで起こされるくらいなら祐一が起こしてくれとの事で、今日から直に名雪を起こす事になった。歌で起こすのも止めてくれという事なので、とりあえずドアを叩きながら叫んで起こす事にした。ちなみに私が名雪に与えた目覚ましは、真琴の手に渡ったらしい。
「うにゅ…」
 ドアを叩き叫び続けること数十回、ようやく部屋から名雪が姿を現した。
「タスケ様…、く〜…」
 しかし、案の定名雪は寝ぼけていた。
「パンチだ、ロボ!!(C・V山口勝平)」
 そう言い、私は名雪の頭を殴り付ける。
「痛ひ…あれっ?」
「ようやく目を覚ましたか…。おはよう名雪」
「どうして祐一が目の前にいるの?それに何だか頭がズキズキするよ…」
「目の前にいるのはお前を起こしに来たからで、頭が痛いのは二日酔いだ」
「えっ!嘘だよ!」
「俺がコップについでやったら『こんなんで酒が足りるか〜』って一升瓶毎飲んだり…」
「私、お酒なんか飲んでいないよ…」
「それで俺が飲み過ぎると明日に響くぞって言ったら、『バァロ〜、酒が怖くて高校生が務まるかぁ〜!!(C・V神谷明)』って言うもんだから無理矢理瓶を奪ったら、『オオオ―あたっ!!あたたたたたたたたたた……北斗百裂拳…。お前はもう死んでいる…(C・V神谷明)』。フッ、名雪の拳など蚊程にも効かん…ひ、ひでぶっ!?」
「う〜…、あからさまな嘘をもっともらしく言わないでよ〜…」
「それよりも、お前が寝言で呟いていた『タスケ様…』が気になるんだが…」
「私、そんな事呟いていたの…」
「ああ」
「それは20日の予餞会でやる劇の、私の台詞だよ…」
「どんな劇だ?」
「『世紀末守護月天傳説南部の縣』っていう劇だよ」
「…ちなみに内容は…?」
「『キングオブハートに奪われた守護月天を、ご主人様であるタスケロウが助けに行く』っていう内容だよ。ちなみにシナリオと監督は潤君だよ。」
「『北斗の拳』をベースにしたGガンと守護月天のパロディか…。いかにもあいつの考えそうな事だな…。で、台詞から察するに名雪の役は『シャオリン』か」
「うん。ちなみに『キング』役が潤君で、『離珠』役が香里だよ」
 成程、声質が似ている者同士の組み合わせ、なかなかの配役である。それにしても、名雪=シャオ、潤=ドモンはイメージ通りだが、香里=離珠は性格的に合わない気もする。


「おっ、懲りずにまた来ているな…」
 昼休み、赤レンガをうろうろしている栞を見掛けたので、下に降りる事にした。
「ようっ、栞ちゃん」
「あっ、祐一さん、こんにちはです」
「…と、また会いたい人に会いに来たのか?」
「ええ」
「ところで今日、昼食はもう食べた?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、また何か買ってきてやるか?」
「では、バニラアイスをお願いします」
「また?…まあ構わないけど、でもそれだけじゃ腹が膨れないぞ?」
「それもそうですね」
「祐一さ〜ん」
と、そんな時3階の渡り廊下から佐祐理さんの声が聞こえた。
「あっ、佐祐理さん。何かご用でも?」
「祐一さんがなかなか来ないからと探していたんです〜」
「あっ、そう言えば昼食ご一緒するって約束していましたね…」
と私は苦笑しながら答える。栞を見掛けた拍子に佐祐理さんとの約束を忘れてしまい、栞に昼食を買ってくると断言した自分に後悔の念を差し向ける。
「先に約束があったのですね。では私はこれで…」
と残念そうな声をあげ、栞が後ずさりしようとする。
「あっ、良かったら貴方もご一緒しませんか〜?」
 それを制するかのように佐祐理さんが栞に声を掛ける。
「それは構いませんが、でも私、私服ですよ?」
「はぇ〜、それは困りましたね…。…止むを得ません、あの方々に頼みましょう…」
 そう言い、佐祐理さんは懐から携帯を取り出す。
『はいっ、こちら冴羽商事…』
「デルタ1よりスカルリーダーへ。赤レンガにいる少女を佐祐理のいる屋上前踊り場まで護衛するよう命じます。尚、極秘任務なので慎重に行動するように」
『諒解!ジーク佐祐理!!』
「…これで何とかなりますわ」
「あの、佐祐理さん。今の電話相手は…!?」
 もっとも、電話相手よりも佐祐理さんの口からアニメの台詞が出た方が気になった。
「目標確認!スカルリーダーより各機へ、俺に続けぃ!!」
と、そんな事を考えていると、フォッカー調の声を先頭に、旧制服を着た漢共が昇降口から出てきた。
「佐祐理さん…この方達は…」
「あははー…、自称『佐祐理親衛隊』の方々です〜…」
と苦笑しながら佐祐理さんが答える。それにしてもスカル小隊というよりはギニュー特戦隊という感じの漢共である。そして先程スカルリーダーと名乗った者が、恐らく潤が話していた元應援團團長の人なのだろう。
「ん、二人とも見かけん顔だな?名前は?」
と先程声を発した漢が私達に声を掛けてくる。その漢の胸元をよく見ると、学生服のボタンの配置が北斗七星の形を作っていた。さながら、ケンシロウと承太郎を足して2で割った雰囲気である。
「私は先週この学校に編入した、相沢祐一という者です」
「成程、貴様が例の編入生か。で、そっちの嬢ちゃんは私服だが他校生か?」
「いえ、私はこの学校の1年生で、美坂栞と言います」
「この学校の生徒?なら何故制服を着ていない」
「病気で今休学中なのです。ただ、どうしても会いたい人が居て、親に街に出掛けるからと嘘を言ってこの学校に来たのです」
「く〜、なかなか泣ける話じゃねえか〜。よし、俺が無事にサユリア様の元へ届けてやるぜ!!スカルリーダーより各機へ、これより『美坂栞護衛作戦』を開始する!!」
 そう言い、漢共は佐祐理を囲み、校舎内に進撃する。サユリア様…、恐らくは佐祐理さんとユリアの名前を組み合わせたものなのだろう。もっとも、佐祐理さんにはどこかユリアのような神々しさがあるので、そう呼ばれているのはあまり違和感を感じない。
「あ、あの佐祐理さん。あの行動にはどういった意味が…」
「あの方々がまとまって行動していると、生徒達は佐祐理を護衛していると思い込みます。つまり、中心に栞さんがいると気付きにくくなるという寸法です」
「それにしても、そうまでして栞を誘う理由は何ですか?」
「栞さんも、祐一さんの不思議な魅力に惹かれた女性だと思ったからです」
「えっ!?」
「あははーっ、祐一さんも早く上に上がって来て下さいよ〜」
「あっ、はい」
 そして、私も佐祐理さんの元に向かう為、赤レンガを後にした。私の不思議な魅力に惹かれた…。つまり、栞も心に傷を持っているという事なのだろうか…。


「あ、あの、色々と手間を掛けて申し訳ありません…」
「あははーっ、お弁当は人数が多い方が良いですから〜」
「美味しいです〜。このお弁当みんな佐祐理先輩の手作りでしょうか?」
「あははーっ、そうですよ〜」
「佐祐理、お茶…」
 美女3人に囲まれても昼食会。他の男共から見れば夢の様な構図であろう。
「ところで、佐祐理さん。先程のスカル隊長の名前は?」
「名前は東条拳太郎(とうじょうけんたろう)と言いまして、先代の應援團團長に就いていた方です」
「やはりそうでしたか…。それにしても、何か今年の應援團の誰よりも遥かに濃いような…。それにしても、佐祐理さんの口からマクロスの言葉が出てくるのは以外だったな。アニメはよく見る方なのですか?」
「マクロスは文化を持たない種族との接触を描いた作品ですから。政治の分野ではあのように既存の価値観では対応出来ない相手との交渉をする事は無きにしも有らずですから〜」
「成程、なかなか慧眼な見方ですね」
「他にはガンダムシリーズ、『紺碧の艦隊』などですね〜。でもそれらの中で一番好きな作品は、アニメもありますが、漫画版の『沈黙の艦隊』です〜。まるで現状の世界を予見したかのような展開。世界を舞台に繰り広げられるリアルティのある政治ドラマ。それに何よりも海江田艦長曰く、『独立せよ』は今正に日本に求められている事ですから〜」
「あの、祐一さん、私にも何か訊いて下さい…」
と佐祐理さんの会話に水を刺すように栞が呟く。
「あっ、ゴメン、ゴメン。じゃあ、栞ちゃんはどういうアニメや漫画が好きなの?」
「私はアニメや漫画はあまり見ないですね」
「じゃあ、いつも何を見ているの?」
「ドラマですね。主に恋愛を扱った…」
「恋愛ドラマか…。俺は恋愛物所かドラマ自体全く見ないな。恋愛系はゲームで済ましているし」
「では、祐一さんはどういったテレビを見ているのですか?」
「『ニュースステーション』、『サンデープロジェクト』、『TVタックル』、『ここがヘンだよ日本人』、『特命リサーチ200X』…。アニメ以外で毎週欠かさず見ているのはこれくらいかな…」
「…知らないタイトルばかりです…」
「討論番組がお好きなようですね。『朝まで生テレビ』は見ていますか〜?」
と、今度は佐祐理さんが私に質問してくる。
「朝生ですか。見たい所なのですが、時間が時間ですし…。大学に入って土曜日が休みになったら見るようにしたいですね」
「佐祐理は月末の金曜日は早めに寝て、毎月欠かさず見ていますよ〜。祐一さんが先に挙げた番組も、200X以外は全て見ています。でもその時間帯は変わりに大河ドラマを見ていますね」
「流石ですね。あっ、佐祐理さん、一つご質問願いますか?」
「ええ、構わないですよ〜」
 会話を進めている内に佐祐理さんとは随分と趣味が合っている事が分かってきた。それで一つ質問を訊ねてみる事にした。
「佐祐理さんは文秋や中公のような論壇誌はご購読していますか?」
「ええ。『文藝春秋』、『中央公論』、『Voice』、『正論』、『諸君!』、『論座』、『世界』…と、その類の物は大体読んでいますね」
「『世界』!?よくあんな吐き気がするような極左雑誌が読めますね…」
「仮にも政治家を志すなら、自分と反対の思想やイデオロギーに、論理的思考力を持った反論が出来なくてはなりませんから」
「はぇ〜…、流石と言いますか頭が上がらないですね…」
「あははーっ、祐一さん『はぇ〜』だなんて、まるで佐祐理みたいです〜」
「…全く話の内容について行けないです…」
「あ、ゴメン、ゴメン栞ちゃん。今の会話はちょっと濃かったかな…」
「いえ…。それにしても二人とも何だか兄弟みたいに仲が宜しいですね。ちょっと羨ましいです…」
と、羨望の眼差しで私と佐祐理さんを見つめる栞。栞の眼には、この光景が自分には到底望めないものであるが如く見えるのだろうか。それを踏まえ、私は栞に一つ質問してみる事にした。
「そうそう、栞ちゃんには兄弟がいるの?」
「え?ええ、姉が一人います…」
「えっ、いるのっ!?」
 予想外の答えに私は驚きを隠さずには入られなかった。何故ならば、先程の栞の態度はまるで兄弟を欲しているかの様だったからである。
「でも、あまり仲が良くないのです…」
 それを聞いて合点がいった。姉と仲が良くない。だからこそ私と佐祐理さんの関係に自分が望む光景を垣間見たのだろう。兄弟関係が上手くいっていない。それが栞の持つ心の傷なのだろう。それならば…、
「…栞ちゃん、兄弟関係が上手くいっていなくて、心の拠り所が欲しかったら、遠慮なく俺の事お兄ちゃんって言っていいぞ」
「えっ、祐一さんいきなり何を…!?」
と赤裸々な顔で動揺する栞。その姿が私にはとても愛らしく見えた。
「…お心使いありがとうございます。でも、私見たいな者に祐一さんを兄と呼ぶのは持ったな過ぎます…」
「そうか…」
「…ただ、兄のように慕うのは構わないでしょうか…?」
「無論構わないぞ」
「あははーっ、でしたら佐祐理は二人のお姉さんになりますね〜」
「佐祐理、私は…?」
「舞は、3兄弟と仲の良いお友達という事で〜」
 他愛ない兄弟ごっこで盛り上がる4人。子供の飯事の如く他愛ない行為。だが、私にはその光景が微笑ましく感じた。


「では、そんな皆さんにお願いがあります。暇がある時でいいですから、一緒に雪合戦しませんか?」
「おっ、いいね〜。時には童心に帰り、思う存分遊ぶのも悪くはない」
「雪合戦…、嫌いじゃない…」
「あははーっ、佐祐理もいいですよ〜。でも、佐祐理はこれからセンター試験ですから、遊ぶならそれが終わってからですね」
「センターか…、言われてみればもうそんな時期だな…。はぁ…、1年後を考えると気が重くなるな…」
「となると、今週は無理ですね…」
「あっ、そういえば19日、予餞会の準備関係で午前授業なのですが、その時などどうでしょう?」
と、残念がる栞に、佐祐理さんが提案する。
「私は構いませんが、他の方は大丈夫なのでしょうか?」
「予餞会は1、2年生が中心ですから、佐祐理と舞は問題無いと思います。後は、祐一さん次第ですね」
「佐祐理が参加するなら私も参加する…」
「俺は予餞会関係はまだ役柄等は決まっていないけど、何とか参加するよ」
「皆さん、ありがとうございます」
と、ニッコリと笑う栞。その笑顔が私には儚くも可愛らしく見えた。兄弟での雪合戦、それは栞が胸中にずっと抱いていた夢なのだろう。
「栞さんに、祐一さん、それに舞。佐祐理からも一つお願いがあります。20日の予餞会終了後に生徒会主催の舞踏会があるのですが、皆さんで参加しませんか?」
 舞踏会。保守的なこの学校には随分と似合わない行事である。生徒会主催という事は、中心は恐らくあの左翼進歩主義者の久瀬だろう。
「佐祐理さん、それを考えたのは久瀬ですか?」
「ええ…。グローバル化時代を向え、国際的な社交場で恥をかかないよう、高校生の内からそういう場に慣れ親しむ必要がある。との理由から、今年から始まった行事です」
 社交場で恥をかかないよう…、考え方が明治時代の鹿鳴館そのものである。さらには舞踏会そのものにイデオロギー的なものを感じる。
「ま、尊敬する佐祐理さんの願い出ですし、別に参加しても構いませんよ」
「雪合戦を一緒にしてくれるお返しとして、私も参加します。でも、舞踏会といいますから、やはりドレスなどを着なければいけないのでしょうか?」
「当日は正装と着てくるようにとの事です」
「正装か…、という事はちょんまげに帯刀すればいいんだな?」
「祐一さん、それは舞踏会に参加する格好じゃありませんよ」
と、私のボケにすかさず栞がツッコミを入れる。
「あははーっ、でも、正装しろとはありますが、ドレスを着ろとは一言も銘記されていませんから、ちょんまげに帯刀でも大丈夫だと思いますよ。佐祐理は当日は着物を着ていく予定ですし〜」
「…佐祐理さん…、今のは冗談ですよ…」
「ふえっ、そうだったんですか。でも、会の趣向がグローバル化に備えてですから、それぞれの民族性を強調したものであれば、アフリカの民族衣装でも正装になると思いますよ〜」
 成程、つまり日本民族を象徴したものであれば、ちょんまげに帯刀は行き過ぎだろうが、和服位は何も問題がないという論説だろう。冗談でいったつもりが、いつのまにか正統化されてしまった。相変わらず、佐祐理さんには2手3手先を行かれ、頭が上がらない。趣味も合う事だし、もし佐祐理さんが自分の姉だったらどんなに良いだろうとつい思ってしまう。
「でも、私、ドレスどころか、和服も持っていないです…」
と、残念そうな声で栞が呟く。
「大丈夫です〜。佐祐理のお知合いにそういうの作るの、得意な方がいますから〜」
「えっ、でもそんな手間をかけさせるわけには…」
「いえ、元々佐祐理が誘った事ですから。これは姉から送る妹へのプレゼントと思って下さい」
「そこまで言うのでしたなら、ご好意に甘えさせて頂きます」
「では、栞さんはドレス、和服のどちらがいいですか〜」
「一度、ドレスというのを着てみたかったので、ドレスでお願いします」
「諒解です〜」


「では、さよならです。雪合戦と舞踏会楽しみにしています」
「佐祐理も楽しみにしていますから〜」
「栞ちゃん、またな〜」
 昼食終了後、栞は北斗スカル小隊(佐祐理親衛隊)護衛の元校門前まで護送され、それを私と佐祐理さんが見送った。ちなみに舞は、踊り場から直接自分の教室へと戻った。
「さて、我々も戻りますか」
「ええ」
 そう言い、後ろを振り返り一歩踏み出した途端、私はふと立ち止まった。
「ふえっ?どうかしたのですか、祐一さん」
 今まで気が付かなかったが、校門の左手側には鬱蒼とした森林地帯が広がっていた。私は興味本位でそこに入ってみる事にした。
「知らなかった、校内にこんな場所があるなんて…」
 その場所は周りを人工的な木々の壁に囲まれ、何本か大木が生えていた。人が踏み入れた形跡はなく、周囲とは一線を画するそこは、正に異空間と呼ぶに相応しい場所だった。 (何だこの感じ…?ずっと以前に似たような場所を見た事があるような…)
 そう思い、それが何処だか必死に思い出そうとした。しかし、まるでその記憶に鍵が掛けられているかの様に、それを思い出す事は出来なかった。私は落胆の気持ちで近くに生えている木の根元に腰掛ける。辺りに積もった雪は新鮮で、心地良い座り心地である。徐に手の平で雪の感触を味わってみると、それはパウダーのように柔らかく、冷たくも気持ちの良い肌触りであった。
「ここは学校の植物園ですよ。と、言いましても、足を踏み入れる生徒は殆どいませんが…」
「佐祐理さん…えっ…!?」
 佐祐理さんの声が聞こえたのでとっさに振り返った。その刹那、佐祐理さんは私をその胸元へと引き寄せた。
「佐祐理さん…いったい何を…?」
「すみません…明後日のセンター試験への不安がどうしても拭い切れなくて、それで…」
 柔らかく、温かい佐祐理さんの胸元。それは未だ知らぬ姉の温もりのようであり、そして何処か儚げであった。温もり伝いに伝わってくる佐祐理さんの想い、それは…、

『…祐一さんには不思議な魅力があります…』

『…心の傷付いた人間を癒してくれるような不思議な魅力、深い優しさが…』

 その言葉は当初、佐祐理さんが舞の心を癒して欲しいと私に呼び掛けたものだと理解していた。だが、癒して欲しかったのは舞だけではなく、佐祐理さん自身だったのだろう。
「…祐一さんを見ていると、どうしても弟と重なって見えてしまいます…。重ねてはいけないと思っていても、その気持ちを拭い去る事が出来ず、想いはますます高まるばかりです…」
「…それで、舞と友達になる事を口実に、私をあの席に招いたのですね…」
「舞と友達になって欲しかったのは本当です。…でも、それ以上に佐祐理自身が祐一さんの事をもっと知りたかったのです。…席を交えてお話する度に、祐一さんが私が思い描いていた弟像に重なってきて…」
「…私も同じですよ…。佐祐理さんとお話を重ねていく内に、自分の姉が佐祐理さんだったらどんなに素敵だっただろうと思うようになりました…。でも……、私は本当の佐祐理さんの弟ではありません。代わりを務める事は出来るけど、本当の弟には成れません…」
「…分かっています…。ですからせめて仮の弟として、佐祐理の心の支えになって下さい…」
「…いいですよ…。それで敬愛する佐祐理さんの心の傷が少しでも癒されるならば…」
「…ありがとうございます、祐一さん…」
 佐祐理さんが私に弟を求めていた様に、私は佐祐理さんに姉を見ていた。だから、私に佐祐理さんの願い出を断る理由は無かった。互い互いを求め合った二人。だけど、二人を繋ぐ心の絆はそれに止まらず、心の奥底、もっと深い何かで結ばれている気がしてならない…。その想いが何であるかは、自分では理解出来ない。いつか分かる時が来るのだろうか……。

…第拾四話完

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